商店街 移住計画

富山のたいちゃんです。まちなかシェアハウス & 商店街ゲストハウスをやろうとしてます。

21日目 どこかで。

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どうも。

先日まで、学年末テスト と プレ卒研 というオゾマシイ怪物に追われておりました、たいぞうです。

 

なんと1月の末からその怪物たちに襲われそうになり、商店街から余儀なく避難することに。そして昨日、やっと呉服屋さんに帰ってこれました…。

(ただ寮と違い夜はビルに一人なので、とても静かです。怖いぐらい…w)

 

さて、いよいよシェアハウス入居まで1ヶ月ほどとなりました。

 

まずは、そのシェアハウスから僕がやりたかたことを形としていきます。

コンセプトは、まちと暮らす。

地域と関わり合いながらの暮らしを体験し、自分たちもその住人として、その地のこれからを考えていく。そんな場所であって欲しいなと考えています。

 

僕たちの家では、地域の人たちを集めてこれからのまちを考える会を開いたり、若者を集めてみんなでまちを知る機会を作ったり…。とにかく、この場所で人と会い、話し、そして自分たちで考えることに基軸を置いています。

 

なので、本当にふらっと誰かの知り合いが家の中でくつろいでいたり…ということがあるくらいにオープンな場所が良いなと思っています(笑)

 

まだまだ入居者の枠が空いているので、少しでも興味がある人はまず僕とお話をしましょう。わかもの大歓迎です。

 

16日目 まずは、シェアハウスをしようじゃないか。

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こんばんは。

今日はミートソースを作った たいぞうです。

(最近、やっと栄養バランスというものを考え始めてきた…)

 

移住をしてから、毎日、商店街に住んでいると本当にたくさんの人との出会いがあります。

このような人と人との出会いは、きっと他の地域社会にも多くあることでしょう。

富山市では、それがたまたま現在の商店街に当たる場所だったのかもしれません。

 

商店街って、いわゆる地域の交流の場であるんじゃないかと僕は考えています。

なので、その街中に学生や若者が暮らすということは、より地域社会との関わりを持って生きるということに繋がるのではないかと。

 

わざわざ会って人とコミュニケーションをとらなくても。

たとえ遠くにいたとしても。

現代では、ITを通じて繋がることができます。

 

しかし、そんな時代だからこそ、人の輪の中で生きる一つの個として、地域社会と関わることを大事にしないといけない時が来るのではないかと思うのです。

 

まちで暮らすということ。

それは地域と暮らすということ。

 

地域という輪の中で、いろんな大人たちに囲まれながら育つこと。

僕はシェアハウスを通じて、若者にそんな経験をしてもらいたい。

 

たまたま僕はこの地域の人たちと縁があり、これまでもたくさん育ててもらいました。

ですが、まだまだ育っている途中なので、これから商店街へ移住して、このまちと暮らしていきたいと思います。

 

僕と一緒にまちなかに住んでくれる人募集中です。

 

一緒にまちで暮らして、僕たち自身がこれからまちにできること、やらないといけないこと、やってみたいこと…たくさん話しませんか?

 

まちで暮らし、まちを考え。

まちをつくり、まちを伝える。

 

そんな人に僕はなりたい。

自分を育ててくれたまちへのささやかな恩返し

僕にとってはそんな計画なんです。

 

たいぞうでした。

 

16日目 まずは、シェアハウスをしようじゃないか。

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こんばんは。

今日はミートソースを作った たいぞうです。

(最近、やっと栄養バランスというものを考え始めてきた…)

 

移住をしてから、毎日、商店街に住んでいると本当にたくさんの人との出会いがあります。

このような人と人との出会いは、きっと他の地域社会にも多くあることでしょう。

富山市では、それがたまたま現在の商店街に当たる場所だったのかもしれません。

 

商店街って、いわゆる地域の交流の場であるんじゃないかと僕は考えています。

なので、その街中に学生や若者が暮らすということは、より地域社会との関わりを持って生きるということに繋がるのではないかと。

 

わざわざ会って人とコミュニケーションをとらなくても。

たとえ遠くにいたとしても。

現代では、ITを通じて繋がることができます。

 

しかし、そんな時代だからこそ、人の輪の中で生きる一つの個として、地域社会と関わることを大事にしないといけない時が来るのではないかと思うのです。

 

まちで暮らすということ。

それは地域と暮らすということ。

 

地域という輪の中で、いろんな大人たちに囲まれながら育つこと。

僕はシェアハウスを通じて、若者にそんな経験をしてもらいたい。

 

たまたま僕はこの地域の人たちと縁があり、これまでもたくさん育ててもらいました。

ですが、まだまだ育っている途中なので、これから商店街へ移住して、このまちと暮らしていきたいと思います。

 

僕と一緒にまちなかに住んでくれる人募集中です。

 

一緒にまちで暮らして、僕たち自身がこれからまちにできること、やらないといけないこと、やってみたいこと…たくさん話しませんか?

 

まちで暮らし、まちを考え。

まちをつくり、まちを伝える。

 

そんな人に僕はなりたい。

自分を育ててくれたまちへのささやかな恩返し

僕にとってはそんな計画なんです。

 

たいぞうでした。

 

12日目 僕にできることって何だろう。

 

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こんばんわ。

久しぶりに早い時間に帰ってきました、たいぞうです。

(これから風呂なので、今日はゆっくり入りたいところ…)

 

実は、先日たまたま富山市で、ずっと会いたかった方々に出会う機会がありました。

 

そして なんと偶然にも…

それは、その日の昼過ぎに、ちょうど僕は知人とその方々のお話をしていた矢先のことだったのです。

 

もちろん、僕はその偶然の出会いに対して、すっごく嬉しい思いでいっぱいでした。

僕の中での大大大大先輩の方々と、お話をさせてもらい、意見も交換でき何ともありがたい限りです…。

 

僕はこう思うのです。

地道に自分が成し遂げたいことを続けていれば、いつかきっと何かの糸口が見えてくると。

して、たとえその努力は誰に見られていなくても、それはどこかで必ず実を結ぶもの

 

だと。

 

僕には秀でたスキルや賢い頭があるわけではありません。

でも。いや、だからこそ、自分が身のまわりのことで出来ることってなんだろうと考えるのです。

 

たとえそれがちっぽけなことでも。

自分ができることに大小なんてなくて、ただそこに相手を思う気持ちがあるかどうか

そう、思うわけなのです。

 

たいぞうでした。

 

 

10日目 朝風呂へ

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こんばんわ。

そろそろ商店街に来てから一週間が過ぎて慣れきた、たいぞうです。

 

昨日の夜のこと。

いつもより少し早めにお店に帰ることができたので、せっかくだから今日はゆっくりお風呂に入ろうと準備をして街へ。

(いつもは帰宅が遅いので、銭湯へ行くにしてもバタバタしてしまうのです…)

 

僕の住んでいるところから銭湯までは、歩いて5〜6分くらい。

そこの銭湯はなんとも昔ながらの雰囲気が漂っていて、今でも番台さんが受付をしています。

湯船は1つだけですが、その銭湯全体がかもし出しているレトロ感がなんともたまりません。

 

そんなとっても良い銭湯にいつも僕は閉店間際に行き、バタバタとしてるので、

やっと今日はゆっくりお風呂に入れるぞ」と少し嬉しい気持ちになっていました。

 

しかし銭湯に近づくにつれて、だんだん嫌な予感が

そして銭湯の前に来た時に、初めて思い出しました。

あ、今日、定休日だった。

 

一応、もしかしたらドアが開いて

「休みだけど、どうぞ。」

お風呂の神様が言ってくれるかなと思い、自動ドアの前まで。

 

5秒くらい念じてみましたが、やはり誰も出てきません。

「やっぱり神様も冬眠中か。」

と諦めて、お家に戻ることにしました…。

 

すると帰り道、ふと久しぶりに朝風呂をしようと思いついたのです。

 

ということで、朝とっても早起きをして学校の前に劔の湯で朝風呂をしてきました。

朝から天然温泉はとってもいいですね。

何と言っても、いつもと違う1日がそこから始まるみたいな気持ちになり、1日中とってもワクワクでした。

 

僕たちはお風呂に入ることで、もしかしたら昨日の自分から脱皮しているのかもしれません。

 

たいぞうでした。

 

8日目 まちのカケラ

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こんばんわ。

本日も某呉服店から、たいぞうです。

 

さて富山県の皆さん、この冊子をご存知でしょうか?

これは富山市商店街の方たちの、それぞれの これまでの街での記憶思い描いているこれからの街 についての取材を冊子にまとめたものです。

 

元々は慶應義塾大学SFC 加藤先生の「場のチカラ プロジェクト」の一環で、この冊子には慶應義塾の学生がこの街でフィールドワークをして集めてきた街の思いが詰まっています。

 

実際に、僕もこの冊子を読んでみて、やっぱり街にはたくさんの記憶が眠っているのだなと感じました。

しかし、それはどこの地域においても同じことが言えるかもしれません。

ただ、その人たちにとってはこの商店街が何か特別な場所だったからこそ、それは人々の記憶に残り、その街を思い出すような一種の街の象徴にもなっているのではと思います。

 

それは、もしかしたら…

親との特別な場所かもしれない。

学生時代に友達と遊びまわった場所かもしれない。

大人になっても帰れる唯一の場所かもしれない。

 

この商店街にはたくさんの思いが眠っています。

しかし、その思いには決して良い悪いはなく、それぞれ別の大事にしている記憶からこれからの街を作りたいと考え、いろんな行動を起こします。

 

僕はこう思うのです。

その街に対する気持ちを無理に一つにするのではなく、一緒に共有することだけでもできればいいなあと。

 

いろんな立場の人がいます。

いろんな見方の人がいます。

 

街には ”いろんな” 人が居ていいと思うのです。

ただそこで争う必要はなく、まずは、それぞれの思いや記憶を大事にすることから始めてみませんか。

”まずは” でいいので。

 

難しいことは置いておいて、みんなの大事な記憶を辿る

そんなことが出来れば、素敵ではないですか。

 

そんなことを思う、たいぞうでした。

7日目 今日はちゃんと洗えました。

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こんばんは。

何かと毎日が過ぎるのが早いなあと感じている、たいぞうです。

 

そして 今日はちゃんと湯飲みを洗うことができました。

やっぱり僕にはワインより、お茶を飲めとのことらしいです…。

 

お決まりのようですが皿を洗いながら、今日も僕はふとこう思ったのです。

 

人間関係も湯飲みのみたいに頑丈に見えて、意外と脆いものなんじゃないかなあと。

まだ青二才の僕ですが、転勤族というカテゴリーの中で、これまでたくさんの人間関係の輪の中で生きてきました。

しかし、どこへ行ってもよそ者はよそ者で、数年が経ち、仲良くなったつもりでもやはりどこかに薄い膜が張ってあるように感じるのです。

 

想像以上にこの体験は、その後の僕をも苦しめました。

友達とも仲良くなりたいのに何故か心の底から打ち解けることができなかったり、自分に非をつくらないように周りに当たったり…。

 

でも少しずつそんな僕の”城壁”を溶かしていってくれたことがあります。

それは周りにいる人たちと一緒に笑うことです。

 

なんとも単純で当たり前のようなことですが、僕にはそれが一番幸せな時間で、何気ない冗談を言い合って笑うことができれば、もう何も怖くないと思えたのです。

 

だから僕はたまに(いや毎分…?)つい、くだらないことを言ってしまいます

だから僕はたまに(いや、毎日…?)いらないお節介をしてしまいます

 

それでも僕はこう思うのです。

今日は食器をきれいに洗うことができて、本当に良かった。

 

たいぞうでした。