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商店街 移住計画

富山のたいちゃんです。まちなかシェアハウス & 商店街ゲストハウスをやろうとしてます。

シアトル滞在 5日目 いんぱくとすること。

シアトル滞在

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こんばんは。

今日はシアトルからたいぞうです。

 

シアトルでのプログラムを受けていて、ふと思ったことが。

 

リフレクションのために、ほぼ毎日、日記のようなものを手帳に書いているのですが、今日その1週間分を見返したのです。その時にふと「あれ、あの時の俺もっとインスパイヤーされていなかったっけ…」と感じたのです。

 

その時に受けた感覚なんて言ったらもう「ノーベル賞級のものを見つけた!」「これは何て発見何だ…」というレベルなのです。

 

しかし後々見てみると、「ん…?そこまでビックリすることではないよな。と言うより、もはや中身の薄いような。」そんな気持ちに。

 

最初は、この現象は文字に起こすと自分の考えていた、もしくは思いついたことが薄れてしまうのかなと思っていたのです。ですが、どうもそうではなさそうで…。

 

その日に他のメンバーのリフレクションを聞いて気づいたのです。

「あれ、もしかして他の人が感じてた気持ちって、発信者が思っているほど自分に届いていないんじゃないかな」と。

 

そして、これって自分自身が文章にうまく自分の”その時の気持ち”が残せないのと同じかと思うのです。

何か自分が外に向けて気持ちを発する時、その時は自分自身がさっきまでの考え抜いたものが出てきて、とっても素晴らしいように感じます

しかし、僕の場合はそれは単なる錯覚であって自分だから特別にできたことではないと思うのです。

 

この現象を僕は人と話をするときにも感じたことがあります

何か自分の意見を言うとき、たまにその意見はとっても自分らしくて自分だからこそ出てきたものなのだと感じます。しかし、逆に僕が誰かの意見を聞く時、その時、それはその人だからこそのものだと思える機会が少ないのです。

 

つまり、僕は自分に対する基準が甘くて、いつでもどこでも自分を今の環境に甘んじる準備だけはできているんだなあとそう思うのです。

 

たいぞうでした。